皆様
大変ご無沙汰しております。
もう5年ぐらい更新してなかった気もしますが、どなたかご覧いただけました際、是非下記HP御覧ください。
大阪で出会った素晴らしいメンバーと結成しました。
サラリーマンとして、父として、夫として…。
40年生きていたら色んな顔が生まれます。
そういうことを全て歌にしていきたいと思います。
しばらくは私の音楽活動のメインとして、このバンドでどこまで出来るかやってみます!
ぜひFacebookやTwitter,Instagramなど登録をお願い致します。
バンドを結成しました!
GWの前半戦、家族、および義母と半年以上前から予定していた西表島観光してまいりました。
離島は初めてで期待は高まるばかり。私の住む大阪からは、Peachで石垣直行便を利用できるため、大変安価に行くことが出来たわけです。
言われてみれば「水曜どうでしょう」でもおなじみの島でございましたが、行くまで全然意識してませんでした。
天気には恵まれませんでしたが、時折カラッと晴れてくれて、シュノーケリング、マングローブの森探索、シーカヤックなど楽しむことも出来ました。
最大の思い出、それは、宿泊したニラカナイ西表島星野リゾート主催のナイトツアー、ホタルの森見学アクティビティでした。
ホタルというのは本州では小川あたりで見られるものと思われていますが、西表のそれは森で乱舞するというのです。
奇しくも私達が参加したのはもうツアー最終日、連日大好評ということでこれは行くしかないだろう!ということで。
私達家族と、20代後半ぐらいの女性2人と60代ぐらいの地元のガイドさんで、秘密のスポットへ車を飛ばします。
夕闇が迫っており、旧国道をガイドさんに誘導され、15分ほど歩きました。
もちろん街灯もなく、どんどん暗くなっていきます。途中でめちゃめちゃでかいコウモリが頭上を飛び交い、なんとなく薄気味悪さが高まります。
途中、別の組も一緒になり、総勢13名程度になったでしょうか。
スポットに着いて、いよいよ完全に暗くなると、森はまるで電飾のように一斉に点滅し始めます。ホタルです。
あまりの幻想的なシーンに言葉を失いました。
子供たちも手のひらに米粒のような小さなホタルを捕まえ、見入っていました。
そんな時。
「痛ぁっ!」「噛まれたぁっ!」という声が。
ビーチサンダル履きの男性二人が慌てて片足ケンケンしています。
ハブ?!と思いましたが、被害者の一人は別の組の若いガイドさんで「ハブではない!なんだろう、ムカデかなんか?」と。
一気に高まる緊張。何しろ全くなんにも見えません。
私の組のガイドさんがおもむろに足元を懐中電灯で照らしたあの時を私は忘れないでしょう。
20cm超、極太のムカデが、我々の足元のそこここに蠢いていたのです。
もう一度言います。
1匹や2匹ではないのです。10匹ぐらいが、懐中電灯で照らされた足元に蠢いているんです。
※この「蠢く」という漢字を見るだけで、今でも私は軽く失神しそうです。
全員絶叫。Everybody,Scream!
「ももももももももも、いいですから!早く帰りましょう!」
北海道から来た普段は菩薩のような義母もパニックです。
私達のガイドさんも「こんなのははじめてだね!西表はずっと雨が降ってなかったから、喜んで出てきたんだね」と沖縄弁イントネーションで余裕かまして話しますが、若干焦っているのが分かりました。
そのリアクションにまた死を覚悟しました。
ガイドさんに先導されて、慌てて帰ろうとする私達。子供もビビりまくっているし何しろ危険だからすぐに抱っこしました。
しかし懐中伝統に照らされる足元には延々2,3匹の巨大極太ムカデがフレームイン。
リアルに念仏を唱えたのは初めてのことでありました。
しかもガイドさん、ウサイン・ボルトばりの速さで駈けて戻りたい私達の思いをよそに、一匹一匹ムカデを踏みつぶして帰ろうとしやがるから、なかなか前に進めません。
「もももももういいから!」と何度も我々は叫ぶのですが、「ちゃんと殺さないとあぶないね」と。踊るようにムカデを潰すその様。地元の人も軽くパニックになってる感が一層の恐怖を駆り立てます。
我が家族は全員しっかりした靴を履いていたので、まだ多少救われましたが、ビーチサンダルで参加していた人たちはマジで失禁ものだったでしょう。
しかし、ムカデと同じぐらいの量でカエルも登場します。これがまたピョンピョンとびやがって、たまにスネ辺りに触れるんです。
その度に「あっぴゃ!」「つぉっ!」と声にならない声を上げたくなりますが、抱きかかえている息子の手前、グッと我慢です。
だんだん舗装された道に戻ってきて、ムカデ出現率も収まってきた最後。
「うぉっ!」
でました、トグロを巻いた蛇が。
「ハブじゃないから大丈夫ね 避けていってくださいね」とすかさずガイドさんがフォローしますが、もうこのなんでしょう、リアル肝試し、リアルインディージョーンズは。
ようやく車まで到着。
15分の道のりは、本当に永遠のようでありました。
誤解のないように言いますと、ツアー自体は安全なもので、ホタルの乱舞は本当に幻想的で、ここじゃないと見られない貴重なものでした。
あんなことは本当に初めてだったそうです。
ありがとう西表島。
エメラルドグリーンの海、大自然等、おいしい食事、人との出会い、思い出はたくさんですが、あまりにもムカデのインパクトが強すぎました。
大阪に帰ってからもしばらく気味の悪い夢が続いております。
しかし、また一刻も早く沖縄に行きたい気持ちがふつふつと湧いてしまっているのです。
ビッグダディに寄せる思い
3年ぶりにブログを書きます。大変ご無沙汰しております。
ぼちぼち仕事でCMソングを作ったり、土日作曲家としてお子様向けの楽曲などを作っておりました。ホソボソと。
このわずか数年でTwitterやらFacebookやらLineやらそれはもういろいろなコミュニケーション手法が登場して、いつしかブログを書くという習慣がすっかりなくなってしまいました。
子供との時間や仕事の慌ただしさで、時間もなかったかもしれません。
3年ぶりに書くというのだからよっぽど心が動かされないとそんな気持ちにはならないわけで、じゃぁそれが何なのかというと、皆様もご存じ、「ビッグダディ」です。
ビッグダディを大好きだというと眉をひそめられる事が多いのですが、私にはそれがわからない。
この番組の特異性、その奇跡を楽しんで見れないなんてほんともったいない。
MOTTAINAI。ワンガリ・マータイ女史に怒られる。今からでも遅くないからテレ朝動画で全編見たほうが良い。
私はあまりに好きすぎて、去年、奄美大島に旅行に行った時、わざわざ彼らが元住んでいた家を自力で探しに行ったほどです。見つけた時は嬉しかったなぁ(笑)!
↑恐らく10年ぶりぐらいの著者近影。いろいろあったけど、私は元気です。
ビッグダディはただの大家族モノと全く異なる、ソーシャル時代が生み出した「トゥルーマン・ショー」であります。
テレビでは語られない驚愕のバックストーリーが2chに転がっていたことから始まって、繰り返される移住、新生活をまたネット民が追いかける。
そして放送時にはツィッターや2chでみなツッコミを入れながら楽しむ。こういうパラレルな構造が最高に楽しかったのでありました。
大抵大家族モノって子供がグレますけど、それが全くないのも超特殊な世界観を生んでいた。ダディに寄せられる子どもたちからの尊敬は、一人の父親として素直にすごいと思ったものです。料理も毎日毎日するしね。
あと離婚や再婚、別居に移住っていうありえないほどの「動き」があって、単なる定点観測ではないのも最大の特色。当然、家族それぞれの成長やドラマも群像劇的に楽しいわけで。
プロレスのごとく、この番組は「ブック」があるあると言われていたが、僕は結構本気でやっていると信じていたところがあって。
自分が番組制作に関わったり、出演したりしてきた経験上、ガチでやらないと出ないニュアンスってあるんですよね。というか嘘は本当にすぐバレるというか。そういうのがあんまり感じられなかった。
しかし、今週のFridayの元妻グラビアで完全に予想を越えた展開になってきました。
本の出版まではあるかもなぁと思っていたが、グラビアだとはw!
まずこの番組に目をつけて、口説きにかかったFridayがすごい。講談社がすごい。自分も広告の仕事していてそんな貪欲なことをしたことがあっただろうか。いや、ない。
果たしてFridayをすぐに入手してグラビアをみましたが、あ、こりゃもう番組はやんないんだろうな、と。
もしこのまま続けて、ブックも存在しないのだとすれば、このグラビアや本の出版のことも追いかけなければならないし、そうなったらもう「貧しく不器用ながらもジョークを忘れずたくましく生きていく家族のドラマ」じゃなくて、「マスコミに踊らされてなんだか様子がおかしくなってしまった家族のドラマ」になってしまうではないか(笑)!
小倉久寛や藤田友子はどんなナレーションを当てればよいのだ(笑)!
どんなタイミングで奥田民生「さすらい」を流せば良いというのだ(笑)!
しかし、一方でこれだけの大人気高視聴率番組&スーパー高ROI番組が終わってしまうだろうか、とも思う。
これまでは不器用と清貧を貫いてきたダディ的世界が、お金やタレント化への色気を完全に認めたわけで、こうなると一気にAKB的世界に突入するのかもしれない。
AKB的、というのは、まさに「どこまでが虚構でどこまでが現実なのか」を分からなくしてしまうという意味である。
これまでのアイドルでは許されないような一連のスキャンダルも、全てそのまま話題化され、ストーリーに取り込まれていくというこの構図を、ビッグダディも採用するのか。
もし採用したら本当にこれはすごい番組になる。
「あいのり」とかも素人の生み出すドラマ、という点では近いものがあったかもしれない番組だが、明らかにバラエティだったわけでやはりダディの世界とは異なる気がする。
私は今回の元妻グラビアで、もうあのダディの世界は戻ってこなくなってしまったのだな、という一抹の寂しさとともに、そんな次回の番組をめちゃめちゃ見たくてたまらないのである。
是非テレ朝のスタッフにはそういう解釈で彼らを追い続けて欲しいものです。
NHKも民放もテレビはまだまだ面白いです。
というわけで、私の最新曲も流れております毎週日曜日朝8:00「おとうさんといっしょ」をぜひ御覧ください。
2010年音楽振り返り
年末年始ですが仕事は完全には終わってはくれません。
ま、そういうものだと思うことにして。
Carnationの曲「The Future Rock Show」の歌詞ではないが、たまに休みをとるから辛い〜♪のである。
フリーだったあの頃の気持ちを忘れず。いつフリーになるか分からないこのご時世でもあり。
今も窓の外では建設現場でめちゃめちゃ働いている皆さんの姿が。
年末の際、気が抜けたのかまたノロ的地獄ウィルスに家族全員が罹患し、もうしんどくって大変でしたが、実家のおふくろの来阪でだいぶ助かって体調も復活。今日から酒呑隊(ってすごい変換するなGoogle日本語入力)、酒飲みたいと朝から思ってしまうぐらい復活しました。我ながら丈夫。
今年の音楽的な振り返りを。
正直昨年に比べると制作量としては大変不作で、仕事が忙しかったせいもあるのだけれど、やっぱりちょっと疲れていたのかもしれない。
NHK教育 いないいないばぁ「おかおふきふき」に採用していただいたぐらいか。
CMソングもコンペ用に提出したのみで採用にはほとんど至らなかったしなぁ。
しかしながら人様の前で演奏するという機会が少しだけ増えた(いずれもクローズドなもので昔から応援してくださっている皆さんには大変申し訳ございません)ので、その緊張感というかそういうものがちょっと蘇り、それは良かったかもしれないです。今の総合的な演奏力・表現力って現役の一番良かった頃の10%ぐらいの感覚ですが、こればっかりはしょうがない。歌については年を取ることにって別の雰囲気が出てくるということもあると思うけれど、演奏はとにかく練習している時間に完全に比例してしまうので。落語家さんいわく1日休むと自分で分かる、2日休むと同業者に分かる、3日休むとお客に分かる(だったかな)、とのことですが、今の僕の下手くそさは赤ん坊でも分かる、かも。
でもそんな演奏モードの気持ちから、清水から飛び降りる思いで購入したギター(サイケデリズムのテレキャスター)が素晴らしい音でこれはほんとに目が覚めるようでした。
これまでもレコーディングなどでミュージシャンの方のギターなどを触らせていただくことがあったけれど、今回入手したのはほんと当たり。
宅録はもちろん、やっぱりスタジオに入って音を出してもすげー!という感じが出るのです。コンプかけてないのにコンプかかってるみたいなバランスの良さとヌケの良さ。
もっともそれまでほんとおもちゃみたいなギターを使ってきたので、それと比べる由もないのですが、それにしてもこんなに違うのか、というぐらい違う。
創作意欲に確実に影響を与えてくれる一本でした。
さて今年購入したCDやよく聴いた音楽ですが、こういう時今は便利ですね。
振り返ろうと思ったときにTwitterや、購入履歴みたいなので追えるので。
で、あんまり今年はCDを買っていなかったみたい。
でも最高の出会いがありました。
Sony Music Direct (2007-06-20)
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今年の春に北海道に帰ったときにたまたま地元のコミュニティFMで聴いたガロ「美しすぎて」に完全にノックアウトされて、前からほのかに気づいていた村井邦彦さんという人はすごい、という思いを強くし、探してみたらアンソロジー的なアルバムがあったので即買い。そしてこれまたノックアウト。
どうしても自分でははっぴぃえんど・ナイアガラ・達郎さん関連を軸に日本の70年代音楽シーンを捉えてしまいがちなのだけれど、こんなに素晴らしく、ハイセンスな音楽をその当時別の系譜で作り続けていたとは!とその60年後半〜70年代の日本の音楽シーンの奥深さに目がくらむようでした。これからも愛聴していくことは間違いなしのタイトルでした。今年一番の素晴らしい出会いでした。これからもずっと宝物です。
それ以外では大阪ソングのコンピレーションアルバムをたくさん買いました。
今仕事で大阪出身アイドルユニットのお手伝いを少しだけさせていただいており、曲を作ってみてほしいという話で、研究のために。
作った曲は結構気に入っていたし、ライブでは歌ってくれてるようなんですが、諸々あってCD化には至ってない(笑)。
ケンミンShowなんかもそうだけれど、ご当地ソングはステレオタイプがリスナー側で適用されまくるので、結局そのステレオタイプを上手に使う(とことん乗っかるか、思い切り外すか)しか無いと思います。CKBでいえばィ横浜、ですが、やっぱり大阪って言葉も含めてその地域が持ってる力が強いので世界観の設定自体は比較的容易ではあるものの、演じ手側がわざとらしさを感じてしまい抵抗感を持ってしまうというのが難しいところ。そういえばたかじんさんの曲に秋元康さんが詞をつけた、という話をテレビでやっていましたが、たかじんさんが全く同じ話をしていました。秋元さんの作ってきた歌詞が関西弁がたくさん入っていて大阪の地名なんかも散りばめられていたのを修正してもらった、と。地元の人にも愛されて、かつ、その他エリアの人のステレオタイプも満たす、というのはほんと難しいのだなぁと実感です。
でもせっかく東京以外で生きて行くことを決めたのだからこれは僕のこれから作っていく音楽の中でも大きなテーマだと。地域性ね。
あとはもう昨年から変わらずにEPO「AQUA NOME」を聴き続けていましたね。
スリーディーシステム (2009-07-08)
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初めて聴いたときの興奮はこちら
そういえばこのアルバム関連の発見でいうと、「春の水」の原曲をYoutubeで見つけたこと。権利的にちょっとアレかもしれませんが。
こちら
これを聞くとEPOさんのは原曲にかなり忠実にアレンジされ歌われてるのがわかります。
オリジナルは陣内雄さんですが、全く存じてなくて、ただし北海道出身で旭川で森林関係のNPOをされているなどのプロフィールを見るだけでも、そこから生まれている音楽との関連に思いを馳せてしまいます。しかし、どうやってこの曲をEPOさんがこれを見つけたのか。ブラジル音楽というのは僕は全然知らない文脈なのだけれど、特に日本の中でもこうした作品が注目される文脈があるのかしらん。まだまだ奥深いです。
あ、思い出した。
この曲が収録されているCDはもちろん限定生産で陣内さんにお願いしないと手に入らないらしい。
それをしようと思っていたんだ。しよう。
来年は36歳。年男。黒沢。オウミ住宅。
激動のマスメディアですが、流されない生き方を考えないとやばい、といよいよ危機感を持っております。
いつだって直感で人生の選択をしてきましたが、こと仕事と自分自身が人生をかけてほんとにやりたい事のバランスにおいてはここらで明確なものを持っておかないとずるずると数年が過ぎてしまいそうでやばい。
そのための戦いを来年は行い、無理なら3ヶ月で諦めて投げ出して無責任にも楽な方に逃げてしまおうかと(笑)。
子どもも起きてまいりました。
今年もお世話になりました。沢山の方にめちゃめちゃ教えていただき、助けていただきました。
全ての皆様に感謝いたします。
来年もよろしくお願い致します。
アデュー。
今日は駿太郎の2歳の誕生日。
この一年間の彼の成長は目覚ましく、言葉もよく話すし、運動能力もだいぶ高くなった。大きなけがや病気もせずに本当によかった。
妹が出来たというのが特に大きい出来事だけど、成長のカギは何といっても北海道ですごした4カ月弱だろう。本当にラッキーなことにとても素晴らしい保育園が妻の実家のごく近くにあり、入園することが出来た。
一方で、妻の実家で非常に成長してしまったためにボクはその過程をつぶさに見ることが出来なかったのは残念。それと、彼にとって北海道時代はおじいちゃん・おばあちゃん・妻、ときどきボクの愛情4wayだったし、保育園もとても楽しかったのだが、大阪に帰ってきたら、妹が出来ちゃって母親の愛情を独占できなくなるわ、愛情を注いでくれる人は激減するわ、保育園もずいぶん雰囲気が変わってしまうわで、とにかくすごいストレスだったと思う。
結果、当然ではあるが情緒不安定になってしまって、甘えるわ泣くわわがままがすごくなってまるで別人のようになった。
しばらくはかわいそうに思って愛情を注いだり、わがままも聞いてあげようというモードだったのだが、ちょうど先週の今日だったか、突然ご飯をつかんでその辺に投げつけるという所業を見せたので、ついにボクは猛烈に怒ったのだった。具体的には「ごめんなさい」を言うまで絶対許さん!と真っ暗な洗面所に閉じ込めて鍵をかけた。「開けて!」「抱っこしたい!」とそれはもう泣き叫びまくって、いつ児童相談所が乗り込んできてもおかしくないぐらいの騒ぎだったが、「ごめんなさいするか?!」と、折を見て聞くと「やだ!」「言えない!」とすさまじい強情。「言わない!」じゃなくて「言えない!」というのは単純に言葉の間違いとも思えるが、彼自身の中に葛藤があって素直にごめんなさいと「言えない」とも思えた。彼にもきっと譲れないものがあるのだ。
妻は途中であきらめそうになったが、ここで絶対に許してはいかんと思い、ボクも踏みとどまる。
結局その繰り返しを2時間半。ついに「…ごめんなさい」とはっきりと言ったのだった。
それを聞いて鍵を開けると、さんざん泣いていたはずなのにけろっとした顔で出てきた。それでまず苦笑いしたのだけれど(笑)。
まずごめんなさいを言えたことをすごくほめてあげて、「気持ちいいね、ごめんなさいが言えると」と抱きしめて繰り返した。
聞いてるんだか聞いてないんだかって顔してたけれど、次の日からがらっと人が変わったようにいい子に戻った。
この一連が非常に感動的だった。
まず子供をそんな風に怒っている自分が一丁前に父親してる!って何とも感慨深かった。それとこういうしっかり怒って分からせるという状況は非常にエネルギーを使うけれど、逆にここでぶれのないところを見せないともっと彼が混乱する、苦労すると思い、ものすごい気合が入った。まさに真剣勝負だった。していいことわるいことの原則をしっかり叩き込まないといけない。
自分が同じ年の頃に親とこういう風に向きあったかどうかは全く記憶にないが、自分がデビューして最初の挫折で音楽を断念しようとしたときにボクを殴った父親も、こんな気持ちだったのかもしれないと今改めて思ったりする。
それと子供が荒れている時、きっちり叱るのは子供に対しての優しさであるとも思った。訳もなくイラつくことは大人になった今だってあるが、子供の頃を振り返ってみると、おさまりがつかない、得体のしれない苛立ちにどっかで誰かに納得のいく形で止めてほしいと思ったことがあるような気がする。つまり、あの2時間半でボクと妻は彼とガチでぶつかり合って、お互いやるだけやったと納得できる関係を築けたから、ぐらぐらしていた毎日をもう一度安定した日常へと引きもどすことが出来たのではないだろうか。土手で殴りあった二人が「俺とここまでやったやつはお前が初めてだぜ」「お前こそ」的な(笑)。そういう清々しさが、あの日以来僕ら親子に生まれたのだった。
で、オチがあるのだけれど、次の日の朝、おとなしくご飯を食べていると思ったら、僕の顔をちらちら見ながら、ご飯のちょっとしたかけらをぽろっとわざと落とした。
こいつ、様子見てやがる(笑)!
そういうところがほんとにボクにそっくりでもう笑ってしまった。
要するにもう駿太郎はまだ子供だから本気で怒ってもしょうがない、という時期は卒業した。話が通じる。言葉が通じる。駆け引きもする。だからいよいよもうごまかしは聞かない。
何と喜ばしいことだろうか…!子供を育てるのがいよいよ本当に面白くなってきた。
でも、こんなのって全く特別な話でも何でもなく、どんな家庭でも同じことが行われているわけで、あったり前の話。
だからこそ、やっぱり普通の人生、普通の家庭、普通の生活に素晴らしいドラマがあることを知る。そして今や普通の人生、生活を歩みつつあるボクが音楽をやる意味があるはずだ、とも。