5月 04

大切なことはみんなコサキンが教えてくれた

ひとりごと 2010年5月4日 2:33 AM 大切なことはみんなコサキンが教えてくれた はコメントを受け付けていません

知らない間にコサキンがテレビで復活していました。
http://www.bs-asahi.co.jp/kosakin/

僕自身、過去にラジオ番組を延べ3年ぐらいやらせてもらいましたが、とにかく小さな頃からラジオっ子でラジオが大好きです(小学生の頃にベリカード集めるほど!)。
が、最近は正直少し離れてしまっていました。

その理由は、小堺一機さん関根勤さんによるラジオ番組「コサキン」(この表現、お好きな方には突っ込まれる可能性がありますが勘弁してください)が2009年3月で終わってしまったからなのでした。それに伴いラジオを聞くという習慣から遠ざかってしまっていました。
僕は小学生ぐらいから聞いていたから、途中ブランクはありつつコサキンリスナー歴は20年ぐらいだったと思います。

一時期TBSラジオにお世話になり、同じ深夜枠の別曜日の番組に出演させていただいていた頃はほんと夢のようでしたね。同じスタジオでしゃべってるんだなぁと。一度もお会いはしたことありませんでしたが、それこそ本当に毎日録音を聞いてましたし、聞かないと眠れないぐらいでした。車に乗ってる時も、移動してる時も、ほんとに呼吸をするように聴いてました。AMラジオを聞くことが全くなかった妻も今では立派にコサキンフアンへ洗脳しました(笑)。

意味の無い絶叫、テレビでは決して見せることの無い毒吐きまくりの二人の絶妙の掛け合い、取り上げられる珍曲迷曲の数々、芸能人をイメージだけで勝手なキャラクターにでっち上げて面白がるなどなど…。

まったくその魅力をうまく説明できないのですけど(ご自身らでは「中二の放課後トーク」と称してます)、コサキンにはなんというか「粋」とか「洒落」があるのです。二人が即興でコントが始めることもしばしばで、そこには確かなテクニックも。「大人の笑い」という言い方でもハズレてはいないかな。時に知的なんだけれど、とは言ってもタモリ的でもなく、スネークマンショー的でもなく、モンティ・パイソン的でもない…。萩本欽一的世界観があることは間違いないのですが、たぶん他の大人の笑いとの一番の違いは「優しさ」なのではないかな。とにかく攻撃的じゃない、品がいい(と言ってもいいだろう)笑いなのです。うーん、やっぱり聴いていただかないと分からない世界であります。

かなり限られたネットエリアで放送されていたので主に北海道・東京・福岡・沖縄の方以外はなんのことやら、という印象かもしれませんが、芸能界のみならず、漫画界にもその特殊な世界のフアンは多く、与えた影響は計り知れないはず、です。放送界にも広告界にも多くのフアンがいるはず。

俗に「笑いのツボ」と言いますが、笑いに関しては僕は完全にコサキン的な価値観が染み付いていて、それに基づいて反応してしまう体になっており、番組が終了してからも、世の中に浮かんでは消えていく芸能ネタやちょっと違和感のある人物をテレビで観る度に「あぁ、この人コサキンだったらこういじられるなぁ」と考えてしまうのが常です。今でも。

番組が終わってからはぽっかり心に穴が開いたようで、しばらくは録りためた放送を聴いてやり過ごしていたのだけれど、やはり気づいたら別の芸人さんのポッドキャストを聞くようになってました。あれだけ好きでも、「もう新しいものが聞けない」という状態では離れてしまうのですね…。

そんな中!どんな経緯があったのかはさっぱり分かりませんし分からずともよいのですが、いきなりテレビで復活しているのを偶然に発見。ラジオとはやっぱり感じが異なりますが、とにかく復活してくれて嬉しいことなによりでした。

おそらくお二人自身にとってもあの番組は芸人さんとして必要なものだったと思いますし、今でも変わらずそういう存在なはず。

いつかラジオで復活したとき、radiko等でリスナーの裾野が広がっていたとして、初めてコサキンを聞いたデジタルネイティブにはどう受け入れられるのか。
コサキンはちょっと特殊な世界ですが、相性はいいように思います。

なぜならその優しさ、笑いの質の高さは殺伐&アマチュア志向のあるネット社会においては新鮮に映ると思うし、バカバカしさ、表の顔と違った裏コサキン=「マスメディアでは見られないホントの姿」的構造はいかにもネットが好きな世界ではないですか。

この辺の空気をうまく理解している人が企画をし、調整をしたら本当に面白いことになるかもしれないなぁ。
兎にも角にも理解のあるクライアントを見つけるのが大変か(笑)。
フアンはクライアントにも絶対いるはず。
番組終了時にもきっと多くの人がなんとか継続させようと並々ならぬ努力をしたはずなんだよなぁ。
番組の持っているバリューの可視化は相当に難しいと思われますが、そういった関係各位の努力が少しいい方向に動き出しているのだと思います。

ほとんど意味の分からない話ですいません。

とにかく、ぼくは嬉しかった…!

5月 02

2回目の韓国旅行

ひとりごと 2010年5月2日 10:51 PM 2回目の韓国旅行 はコメントを受け付けていません

GWを利用して4/28〜本日5/2まで家族で韓国に行ってきました。
楽しかったですねぇ。

7年ぐらい前に行ったことがありましたが、あの時は風邪を引いてしまい目いっぱい楽しめなかったのですが今回は楽しかった。

なんで韓国か、といってもまるで思いつきかつマイルで行ける、というだけでしたが、まぁなんとなく気分も変わるかなと。今妻のお腹の中にいる2人目が生まれたらいよいよ海外なんかも行きづらいだろうし。

以下、所感をいくつか。

1:滞在型ホテルは大変よろしかった。
フレイザープレイスっていうレジデンスホテルに4泊5日しましたが、1歳半の子どもと過ごすには素晴らしかった。冷蔵庫・キッチン付きで料理もできるし、洗濯もできるし、なにより2部屋もあって広いんだ、これが。おすすめです。海外から長期出張とかでほんとに住んでる人も多そうで、多国籍な雰囲気でした。併設のキッズルームで、うちの子もずいぶん国際交流をしたものでした。

2:子どもがいるとイイ。
子どもがいると、まぁ会話のきっかけになるし、特に韓国の人はめちゃめちゃ子どもをあやしてくるのでいい感じでした。

3:女性のファッション
韓国の女性は肌がキレイですね!んで、足を強調したファッションが日本とは明らかに違う形で流行ってましたね。ミニスカート率高し。ちょっと詳しいこと分からないんですけど、ボディコンっぽい感じっていうか、懐かしい感じのする強調度でしたね。あと茶髪の女性も少なくて、髪長い人も多かった。そんな感じがより懐かしい感じを生んでいたのかも。ダブル浅野的な。

4:電車でもガンガン携帯で話す
地下鉄に何回か乗りましたが、老若男女問わず携帯でガンガン話してましたね。不思議だったのが、駅から駅の移動中も普通に話していたこと。なんか違うのかな、日本と?

5:地下鉄で物売りが来る
これも噂には聞いていましたが初めて見ました。いきなり隣の車両からおじさんがやってきて、懐中電灯みたいなの売出したりするという光景を見ました。どうやって生きているのか。「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本を思い起こしました。

6:食べ物は当たり外れ多し
フラッと入って美味しかった店はありませんでしたね。これはたまたま僕の運が悪かったのかもしれません。共通して言えるのは、ダシがうすい・鮮度がヤバくて生臭い・めちゃめちゃ辛くて味わからん、というあたりでしょうか。
ツイッターで勧められて行った店はみんな美味しかった!#seoul_recommendというので調べてみてください。

7:物価は思ったより高い
ウォン安とは言いますが、その分物価が高くて「いってこい」状態でした。普通のスーパーに試しに入ってみましたが、白菜のちっちゃいヤツが300円弱とかしてましたよ。その他の生鮮品や日常品も日本より割高だった気がします。最終日前夜、最後のディナーとして行った梨泰院のチャドルパギ(牛のアバラ肉焼き、だと思う)屋さんも、実に美味しかったのですが、店はまぁお世辞にもキレイとは言えず(ちっちゃいゴキに迎えられるという一幕も。まぁ日本だってそういうことはありますわな)、2人前で10,000円弱しました。それは決して日本人価格ではなく、庶民に愛されてるって感じで賑わっててなんとも不思議な感じでした。大阪で2人前10,000円の焼肉って言ったらかなりイイトコですからね!

8:タクシー代はスゴク安い。
めちゃめちゃ安いですね。初乗りが2,500ウォンかな。身重の妻と1歳児との旅行だったので大活躍しました。

9:楽器街がすごい
鐘路ってとこの古めかしい大型商業ビルの2階が楽器街になってて、これがまぁすごい。もう韓国の楽器屋は全部ここに集まってると思うようなすごい数(笑)。殆どが中国製か韓国製じゃないかな。ピアノとか、ギターとかどれも全然見たことないメーカーなの。そんな中でいくつか僕が中学生ぐらいにお茶の水の楽器屋さんでお年玉はたいて買おうか買わまいか迷ったようなメーカー名をいくつか発見。gibonみたいな(笑)。おそらく今でも日本の中学生でギターを始めたい子たちの多くが入門編として買う1〜2万円クラスのギターが唸るほど置いてあるのです。僕も中学2年の時に「hondo」っていうおそらく1万ぐらいしかしないエレキギター(黒のストラト)を兄から譲り受けたのが最初のエレキギターだったので、感慨もひとしおでしたよ(笑)!自分のルーツに出会った、そんな感じでした。

10:話せる人がいるとめっちゃ楽
うちの嫁さん(日本語教師)が言語研究の一環で韓国語を独学で勉強してまして。とはいえ実践は今回が初めてみたいなもので、度胸試し的な意味でバンバン話しかけていましたが、かなり通じてたし、理解できてました。このおかげで楽なこと。韓国語話せると向こうもフレンドリーになるし、赤ん坊を連れてるってことも相俟ってボッタクられるみたいな恐怖感も皆無でした。たすかった。

11:哨戒船沈没のこと
行った次の日が哨戒船沈没の告別式で、空港職員がみんな喪章を着けてるわ、街中には読めないけど「謹」「弔」みたいな黒白の大型幕が至る所に張られてました。翌日のテレビを見てやっとそれがわかったのですけれど。一日中ずっと告別式の中継をやってました。テレビ的には全てちゃんと演出されているのが分かりました(お墓に埋葬するシーンはクレーンが使われていたり)が、犠牲者一人一人のエピソードを紹介しているのを見たり、家族が号泣しているのを見たりすると、今まさに自分がその国にいるということがすごくリアルに感じさせたのか胸に迫るものがありました。

と、まぁ、いろいろでした。

とにかく辛いものとにんにくを大量に摂取することによる胃痛とお尻痛(トイレで「アッー!」状態。一回ウォシュレットがmaxになってて「アイゴーォォ!」状態)に6割方やられてましたが、胃腸薬でだましだましなんとかなりました。あんなに毎食いろんなもの食べたのに、不思議と体重が増えなかったんですよね。赤ん坊抱っこしてよく歩いたせいもあると思いますが、野菜をやっぱりなんだかんだでたくさん食べる構図になってるからかなぁと改めて思いました。

4/28から周りの迷惑も顧みず休んでしまいましたが、PCを持っていったので、かなり普通に仕事もしてました。全然切り替わんなくて嫌になりましたが、しょうがない。

一番の収穫は嫁さんのリフレッシュになったと思われることと、最近ほとんど終電もしくは終電オーバーで満足に触れ合っていなかった子どもとたくさん一緒に濃密に過ごすことが出来たことかな。

しばらく辛いものは遠ざかりそう。カレーが食べたい。普通の甘口カレーが。

あと6日ぐらい休みたいですねぇ(笑)。

大阪からだと札幌帰るより近い韓国。
時間ができたらほんとふらっと行けちゃうので、リピートしそうです。

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