11月 13

2歳誕生日

ひとりごと 2010年11月13日 1:49 AM 2歳誕生日 はコメントを受け付けていません

今日は駿太郎の2歳の誕生日。

この一年間の彼の成長は目覚ましく、言葉もよく話すし、運動能力もだいぶ高くなった。大きなけがや病気もせずに本当によかった。

妹が出来たというのが特に大きい出来事だけど、成長のカギは何といっても北海道ですごした4カ月弱だろう。本当にラッキーなことにとても素晴らしい保育園が妻の実家のごく近くにあり、入園することが出来た。

一方で、妻の実家で非常に成長してしまったためにボクはその過程をつぶさに見ることが出来なかったのは残念。それと、彼にとって北海道時代はおじいちゃん・おばあちゃん・妻、ときどきボクの愛情4wayだったし、保育園もとても楽しかったのだが、大阪に帰ってきたら、妹が出来ちゃって母親の愛情を独占できなくなるわ、愛情を注いでくれる人は激減するわ、保育園もずいぶん雰囲気が変わってしまうわで、とにかくすごいストレスだったと思う。

結果、当然ではあるが情緒不安定になってしまって、甘えるわ泣くわわがままがすごくなってまるで別人のようになった。

しばらくはかわいそうに思って愛情を注いだり、わがままも聞いてあげようというモードだったのだが、ちょうど先週の今日だったか、突然ご飯をつかんでその辺に投げつけるという所業を見せたので、ついにボクは猛烈に怒ったのだった。具体的には「ごめんなさい」を言うまで絶対許さん!と真っ暗な洗面所に閉じ込めて鍵をかけた。「開けて!」「抱っこしたい!」とそれはもう泣き叫びまくって、いつ児童相談所が乗り込んできてもおかしくないぐらいの騒ぎだったが、「ごめんなさいするか?!」と、折を見て聞くと「やだ!」「言えない!」とすさまじい強情。「言わない!」じゃなくて「言えない!」というのは単純に言葉の間違いとも思えるが、彼自身の中に葛藤があって素直にごめんなさいと「言えない」とも思えた。彼にもきっと譲れないものがあるのだ。

妻は途中であきらめそうになったが、ここで絶対に許してはいかんと思い、ボクも踏みとどまる。

結局その繰り返しを2時間半。ついに「…ごめんなさい」とはっきりと言ったのだった。

それを聞いて鍵を開けると、さんざん泣いていたはずなのにけろっとした顔で出てきた。それでまず苦笑いしたのだけれど(笑)。

まずごめんなさいを言えたことをすごくほめてあげて、「気持ちいいね、ごめんなさいが言えると」と抱きしめて繰り返した。

聞いてるんだか聞いてないんだかって顔してたけれど、次の日からがらっと人が変わったようにいい子に戻った。

この一連が非常に感動的だった。

まず子供をそんな風に怒っている自分が一丁前に父親してる!って何とも感慨深かった。それとこういうしっかり怒って分からせるという状況は非常にエネルギーを使うけれど、逆にここでぶれのないところを見せないともっと彼が混乱する、苦労すると思い、ものすごい気合が入った。まさに真剣勝負だった。していいことわるいことの原則をしっかり叩き込まないといけない。

自分が同じ年の頃に親とこういう風に向きあったかどうかは全く記憶にないが、自分がデビューして最初の挫折で音楽を断念しようとしたときにボクを殴った父親も、こんな気持ちだったのかもしれないと今改めて思ったりする。

それと子供が荒れている時、きっちり叱るのは子供に対しての優しさであるとも思った。訳もなくイラつくことは大人になった今だってあるが、子供の頃を振り返ってみると、おさまりがつかない、得体のしれない苛立ちにどっかで誰かに納得のいく形で止めてほしいと思ったことがあるような気がする。つまり、あの2時間半でボクと妻は彼とガチでぶつかり合って、お互いやるだけやったと納得できる関係を築けたから、ぐらぐらしていた毎日をもう一度安定した日常へと引きもどすことが出来たのではないだろうか。土手で殴りあった二人が「俺とここまでやったやつはお前が初めてだぜ」「お前こそ」的な(笑)。そういう清々しさが、あの日以来僕ら親子に生まれたのだった。

で、オチがあるのだけれど、次の日の朝、おとなしくご飯を食べていると思ったら、僕の顔をちらちら見ながら、ご飯のちょっとしたかけらをぽろっとわざと落とした。

こいつ、様子見てやがる(笑)!

そういうところがほんとにボクにそっくりでもう笑ってしまった。

要するにもう駿太郎はまだ子供だから本気で怒ってもしょうがない、という時期は卒業した。話が通じる。言葉が通じる。駆け引きもする。だからいよいよもうごまかしは聞かない。

何と喜ばしいことだろうか…!子供を育てるのがいよいよ本当に面白くなってきた。



でも、こんなのって全く特別な話でも何でもなく、どんな家庭でも同じことが行われているわけで、あったり前の話。

だからこそ、やっぱり普通の人生、普通の家庭、普通の生活に素晴らしいドラマがあることを知る。そして今や普通の人生、生活を歩みつつあるボクが音楽をやる意味があるはずだ、とも。

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